※こちらの記事は、HOUYHNHNMブログ『Escape by Melody《メロディによる逃走》』に掲載されていた内容です。
先日、世界最古のオーケストラ、とも言われている、日本の誇る伝統音楽「雅楽」の生演奏を聴きに行きました。
前半は演奏のみの「管弦」(かんげん)、後半は音にあわせて踊る「舞楽」(ぶがく)という構成でした。
太鼓(たいこ)、箏(こと)あたりはイメージつくけれど、琵琶(びわ)、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)・・となってくると、どんな音が出るのかもパッと出てこないような、聞き慣れない楽器たち。
それらを操る、色鮮やかな橙色が印象的な和服(装束、と言うのかな)を着た演奏者は、全部で15〜16名ほど。
彼らは「東京楽所」(とうきょうがくそ)という、式典などの正式な場面で雅楽だけではなく、芸術音楽としての雅楽を広めるために結成された団体。
みんな背筋がピンと伸びていて、見ているこちらも思わず姿勢を正す。
「代表の演奏者(オーケストラでいうと指揮者の役割の人)がお辞儀をしたら、そこが拍手をするタイミングです」と、司会の方が教えてくれた後、演奏がスタート。
笙は、17本の細い竹管がひとつにまとまっていて、上へ向かって、一度に複数の音が出る。
その音色は、例えるならハーモニカのような少し艶のある高音域で、その音が鳴った瞬間、空間が一気に華やかになる。(厳密には、ハーモニカよりもっと丸みのあるあたたかい音だけど)
篳篥は、バンドで言ったらボーカルの役目で、しっかりとメロディを担い、琵琶は、弦を一気に弾いてひとつの区切りを表現したり、ポイントでベースラインをなぞったり。
空に浮かぶいろいろな形の雲が横に流れていくように、それぞれの楽器の音色が、時に勢いよく、時にレイヤーのように重なりあいながら、聴き手を包み込んでいく。
そして徐々に同じ音階になっていき(ユニゾン)、気がつけば、まるで目の前に一本の大きな樹木がそびえ立つような、圧倒的な存在感を醸し出している。
かと思えば、ゆっくりと音の輪郭が薄れていき、宇宙へ放り出されたかのような静寂の海へ向かう。
ひとつずつ、ひとつずつ、丁寧に紡がれていく演奏中の中にある「間」(ま)すらも、目に見えない「ひとつの楽器」のようでした。
840年頃から行われた「楽制改革」では、約400年間、あらゆる国の「音楽」と「楽器」を輸入してきて情報過多になり、煩雑化していた雅楽を整理するために、他国からの輸入を止めたそうです。
その期間、約半世紀。(!)
混沌とした当時の音楽シーンを、「ジャンル」「楽器」「理論(和音など)」などの軸でそれぞれ整えていったことは、雅楽にとって非常に重要な転機のひとつだったことは間違いありません。
平安時代に「情報過多」になっていたなんてちょっと意外だけど、今とは比べものにならないことは、容易に想像ができます。
ラジオやテレビがめずらかった時代はとうに過ぎ、リビングだけにあったテレビは個人の部屋にも普及し、それらはパソコンへ姿を変え、さらには片手で持ち歩けるスマートフォンへと進化。
インターネットには「終わり」という概念すらなく、24時間いつでもアクセス可能になりました。
情報があることは悪ではないんだけど、情報を「選別/判別する力」をきちんと持つこと、
そして、情報に辿り着くまでの「イマジネーション」を怠らないこと。
このふたつを、右手と左手にそれぞれ握りしめていることが、とても大切なんじゃないかと思います。
特に今年は、それが顕著になってくる気がするなぁ。
常にすべての情報に接続している必要はないし、ありとあらゆるものをすべて区別する必要もない。
当然のことだけど差別をする必要もないし、ましてや国境に壁をつくる必要なんてない。
なのに、無意識に受け取った大量の情報が、そのまま自分自身の思考や感情だと思い込んでいたり、
区別や差別をすることで自分の存在価値を見出したり、壁をつくって今の自分の居場所を確認していたり、
どんどん貧弱になっていくこの世の中を、感じずにはいられないのが現実です。
ただ、雅楽の演奏を聴いていると、直感的に、思うのです。
私たちが生きている「今」や、私たちに見えている「今」は、
長い歴史の中では、ほんの「一瞬」でしかない、ということを。
その「一瞬」が無数につながって、「時代」ができているということを。
そして、その「一瞬」をどうやって過ごすかは、「自分次第」ということを。
今回、機会をくれた三浦元則氏に、感謝の気持ちを込めて。
東京楽所第12回定期公演 奉祝の雅楽
▼日時
2019年2月2日(土) 14:00 開演
▼会場
サントリーホール(大ホール)
▼出演
雅楽、舞楽:東京楽所
▼曲目
平調音取
催馬楽「伊勢海」
越天楽残楽三返
左舞 萬歳楽
右舞 延喜楽
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坂本龍一さんの2017年のアルバム「async」に収録されている「Life, Life」の中に笙の音が聴こえたのは気のせいじゃなかった。;)